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深夜放送と私 [ミッドナイト東海]

2月11日に書いた記事「ミッドナイト東海」のなかで、高校の文化祭で
深夜放送に関する発表を行ったと書きました。
(「ミッドナイト東海の部屋」ではなく「深夜放送と私」という個展でした・・。)



その時の展示品、パーソナリティーのサインを友人から借りてきました。

まずは、石橋まち子さん。昭和49年8月。




つづいては鶴瓶さん。昭和50年6月。
何故かはがきの左上に小さく書いてあります。




蟹江篤子アナウンサー。昭和49年11月。





宮地由紀男(現在は佑紀生)さん。



こんなのもありました。
当時ゲストできていた、あゆ朱美さん。愛知県春日井市出身。
昭和49年に歌手でデビュー。
じつはこの人、現在の戸田恵子さんです。(情報提供者 gopさん)


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あなたにとどけたい [ミッドナイト東海]


ミッドナイト東海のイメージソング。
一般公募で選ばれた詞に元チェリッシュの奥山景三さんが曲を付けました。
このレコードを持ってなければ「名古屋っ子」でない、とまで言われるほどの
大ヒット(ちょっと誇張)。


愛知県尾張旭市出身の北川とみさん。
いまでも東海地方ではこのCMソングでおなじみ。(注・曲が流れます)
A面
「あじさい寺」  吉田 旺作詞 / 馬飼野俊一作曲・編曲
B面
「初めての春」  奥山景三作詞・作曲 / 青木 望編曲

「初めての春」の方がずっといい曲なのに、どうしてB面なのか不思議。


「さよならをほほえみで」   北川とみ作詞 / 奥山景三作曲 / 萩田光雄編曲

2枚目シングルのこの曲も名曲。奥山景三さんはスゴイデス。
ちなみにワタクシはこの当時「景三BAND」のファンクラブになぜかしら入会してました。


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無有 [ミッドナイト東海]


宮地由紀男のバンド「無有(ムウ)」のファーストアルバム。(1977年)

SIDE-A

1  一人ぼっちでコンサート  <宮地由紀男作詞・作曲/いしだかつのり編曲>

2  ちょっと遅れて        <宮地由紀男作詞・作曲/いしだかつのり編曲>

3  好きなんだってさ      <宮地由紀男作詞・作曲/いしだかつのり編曲>

4  夢みる孤独          <宮地由紀男作詞・作曲/いしだかつのり編曲>

5  エーネー            <宮地由紀男作詞・作曲/いしだかつのり編曲>

6  風が匂ふ街          <福本一郎作詞/松岡保富作曲/いしだかつのり編曲>

SIDE-B

1  オケケラ・ダンス        <財津和夫作詞・作曲/チューリップ編曲>

2  東京列車            <財津和夫作詞・作曲/チューリップ編曲>

3  厳冬春歌            <奥山景三作詞・作曲/萩田光雄編曲>

4  今年の冬は早く         <伊藤豊昇作詞/市川善光作曲/いしだかつのり編曲>

5  100m道路右か左       <山本厚太郎作詞・作曲/萩田光雄編曲>

6  あなたにとどけたい       <増田浩二作詞・奥山景三補作/奥山景三作曲/
                                       いしだかつのり編曲>


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ミッドナイト東海の本 [ミッドナイト東海]


先日、高校時代の友人宅に遊びに行き、彼とミッドナイト東海の話で大いに
盛り上がってきました。
彼が当時、ワタクシからミッドナイトのテープを借りて聴いた、と言って思い出しました。
松原さん、鶴瓶さん、宮地さんなどの放送を録音したテープがあったのです。
早速、家で天井裏を探し、30年前のカセットを見つけ出しました。
そして書いた記事が「M・S君からの手紙」です。

この写真の「ミッドナイト東海」の本もこともすっかり忘れてました。
これは友人から拝借してきた本です。
発売は昭和52年(1977年)12月。

当時のパーソナルティー、宮地由紀男(現在は佑紀生)柴田容子奥山景三(現在は敬造)
兵頭ゆき、笑福亭鶴瓶、田村佳世子、財津和夫、水野智代子 (<-声が聞けます)の8名を紹介した本。 リスナーからのお便りも載っていますが、シリアスな話題はありません。 ちなみに鶴瓶さんの逸話はこちら


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M・S君からの手紙 [ミッドナイト東海]

昔の深夜放送「ミッドナイト東海」(東海ラジオ AM0:15~3:00)のお話です。

第一幕

昭和50年(1975年)12月、松原敬生はM・Sと名乗る一人の若者からの手紙を紹介しました。
あいにく、その時のテープは残っていないので正確には記す事ができませんが、彼の両親は離婚していて、後に父親の再婚話に反発し、その父親への恨みをつづった内容だったと思います。
実母はその後病気で亡くなり、M・S君はとうとう家出をします。
そして一旦は家へ戻るのですが・・・。

第二幕

そんな彼の手紙は、リスナーからの大反響を呼び、多くの励ましのお便りが番組に届きます。
そして再びM・S君からの手紙が紹介されました。
「最期の旅にでます。礼文島に行きます・・・・・」
自殺をほのめかす内容に、松原は放送でM・S君に呼びかける。
「電話を待ってるから。一度電話をください・・・」と。

励ましのお便りの中から一通紹介する松原。
そのリスナーも同じように親を恨み、家を飛び出した一人でした。
生活が貧しく、毎朝夜明け前から漁に連れて行かれ、漁が終わると学校に走る毎日。
こっそり盗み見た貯金通帳から、自分の家にはもうお金が無いことを知って10円のお金すら
欲しいと言えなかった・・・。
そんな生活に耐え切れず、とうとう置手紙をして家出をしたのです。
10年間、親との断絶後、彼は家に戻り、そしてその間両親が自分以上に苦しんでいたことを
思い知るのです。
そんなお便りを松原は涙ぐみながら読みました。

そこへM・S君から電話が入ります。
礼文島ではなく長崎にいるという彼。かすかに放送が聞こえているという。
「とにかく一度戻ってらっしゃい」という松原にM・S君はあっけないほど素直に
「わかりました」と答えました。
クリスマスイブのイブ、この日の放送を本当に喜んだ松原は、番組の最後にいずみたくシンガースの「帰らざる日のために」をかけました。

第三幕

翌週の12月30日、M・S君からの手紙。
「先週の放送を聞いて、はじめて自分の手紙が読まれていることを知りました。
みんな、ありがとう。しかし、俺をマンガの主人公にしてしまったヤツは許せない!
いつ俺が長崎に行ったんだ」と。
あのM・S君からの電話がいたずら電話であったことに松原は憤慨し、そして肩をおとす。

第四幕

昭和51年2月、M・S君からの「挑戦状」が届く。(以下そのほんの一部)

 あなたの番組に登場する悩める若者たちや、私は不幸でございます、という看板を
 背負った人たちはいったいどういうつもりで投書するのですか。
 自分たちの不幸な境遇を、あるいは運命にもてあそばれた自分をさらけ出し、何を
 期待するのですか。安っぽい同情や空しい励ましを求めているのか、世の中には
 自分のほかにも、こんなに不幸な人たちが存在することを確認し、自らを慰めているのですか。

 そして松原さんはこういう人たちの投書をどういうつもりで取り上げているのですか。
 ご自分が適切なアドバイスをし、あるいは励まし解決の一助とならんとしているのですか。
 それとも自分の放送の特異性を持たせるためですか。
 私は松原さんの放送にずっと以前から反発し続けてきました。
 
 M・S君は私のいくつかの事実をもとにでっち上げた人物です。
 このストーリーは完全なフィクションです。

 私はいままでどれだけ人から裏切られ、踏みつけられ、傷つけられてきたか、
 あなたには理解できないでしょう。
 私はいかなる人も信じないし、また頼らない。
 あなたがなんと思われようとも、自分の信念に従って生きている。
 あなたが夢想する「ふれあい」とは融合し得ない。
 M・S君を登場させたのも、あなたの放送への挑戦、レジスタンスです。
 あなたの番組のいい加減さ、意味の無さを私自身が確認するためです。
 そして、あなたの番組を平気で踏みにじるような人たちが、ほかにもたくさん聞いている、
 またあのような最低のいたずらがなされうることを、あなたに再認識していただこうと
 思ったのです。
 つまりあなたが求める「ふれあい」はここに帰結してしまうのです。

 それでもなおあなたが虚像にしがみついていくようなら、さらにあなたに挑戦する。
 そしてあなたの番組の偽善者の仮面を引っ剥がし、「ふれあい」を決定的にぶち
 壊してやる・・・。

挑戦状の全文を10数分間かけて読んだ松原。
中には、このM・S君とまったく同じ話を「サワムラ マ○○」なる仮名で、野沢、白石、
両氏の「パック・イン・ミュージック」に投書し、昭和50年6月に取り上げられたことも
告白しています。

松原は「M・S君は番組を振り回してやったんだというが、わたしは振り回されたという
実感が無い。たくさんの意見や励ましに、真剣に聞いている人が多いと確信を持った」
と反論する・・・。

残念ながら、ワタクシの手元にあるテープはここで切れてます。
いやはや、いろんな人が聞いているもんだ・・・と当時は驚いて寝ました。


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ミッドナイト東海 [ミッドナイト東海]

深夜放送を本格的に聴きだしたのは中学に入ってから。
なかでもイチバンはまったのが東海ラジオの松原敬生アナウンサーの「ミッドナイト東海」でした。
彼がよくかけていた3曲を紹介します。

倍賞千恵子の「愛のために」、昭和49年発売。
ベストアルバムには必ず入ってない曲で「どうしてこんないい曲が・・」
と思うのですが、それだけ名曲が多いってことでしょうね。


松平純子の「男坂・女坂」。
もともと時代劇に良く出ていた女優さんですが、ワタクシは時代劇見ないので
全然知りません。吉田拓郎作曲の「両国橋」 という曲もあるみたいですがぜひ
聞いてみたいです。


ひのきしんじの「僕から」、49年発売。
すっかり忘れてました。当時はこんな曲までレコード買って聞いていたんですね。
そういう純粋な時代もあったんだ・・と思う一曲。

中学、高校と深夜放送にのめりこんだワタクシは、高三の文化祭で友人と二人で「ミッドナイト東海の部屋」なるものを作りまして、深夜放送に関する研究発表を行いました。
他愛のない、たんなる自己満足の世界でしたが、思ったことをすぐに具現化してしまう
若いエネルギーがあったんですね。

演歌大好き人間、松原敬生アナウサーの放送を聞くようになって、ワタクシのなかで
シブイ=かっこいい という図式が形成されていきました。
それまでは117(HM)なんて高いだけでかっこ悪いクルマと思っていたのが、
当時発売された量産タイプの117クーペのカタログを夜な夜な眺めながら「これはすごく
シブイのでは?」と思うようになり、それが確信になりあの比叡山ツーリングにつながっていくのでした。


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リコタン 星飛ぶ [ミッドナイト東海]


昭和45年、大阪万博の帰りの車中で、親父がカーラジオをつけました。
時間はすでに夜中の12時近く。後ろの座席からお袋が「こんな遅い時間に
やってるの?」と聞いた。その時ラジオから流れてきたのは、東海ラジオの
「ミッドナイト東海」という番組で、ビリーボーン楽団の「恋のてくだ」という
テーマ曲と共にかわいらしい声が聞こえてきました。
それが岡本典子(よりこ)、通称リコタンの声を初めて聞いた瞬間でした。
小5のワタクシが深夜放送に目覚めた瞬間でもありました。
 
あれから25年余り、久々に彼女の名前を目にしたのがこの本。
彼女の半生を振り返った「リコタン 星飛ぶ」、平成8年出版。
リコタンの朗読と歌が入ったCD付き。


小6か中1のとき、リコタンは「サンデー電話リクエスト」という番組をやっていました。
3月だったか4月の初めの番組の冒頭でこのマージョリーノエルの「そよ風に乗って」
をかけました。そのときの季節とリコタンの軽やかな声とこの曲がとてもマッチしていて
多感なワタクシは心躍らせてラジオに聞き入っていました。


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